ばぁむさんの資産運用中Plus

インデックス投資+高配当再投資戦略+αで資産運用してみたメモ…の傍ら馬を愛でるブログ

「気づき」に価値はあるのか

今の世の中って気づく事で損をする場合が多い。
社会人であれば、特にそう思う場面に出くわすのではないでしょうか。


その上、人は「答え」という「パッケージ」をコスパの名分で求め続け、消費し続ける。
しかもその「パッケージ」が品切れになると怒り出す者までいる。
それじゃまるで薬物中毒ではないか、とも思ったり。


「知識」「経験」は点であり「気づき」とはそれらを線で結ぶ行為。
「パッケージ」は既に点を線で結んだ物の集合体。


確かに時間がかからず、既に出来上がったものが手に入るのは楽。
でもそれを集める事に終始する人に「パッケージ」同士を線で結ぶ事は難しい。


本来であれば、海の様にどこかでつながっているはずの物なのに
その人にとってあくまで2つの「パッケージ」に過ぎない。
また、本来ならそこに至るまでに考えなければいけない事があるにもかかわらず
それを飛び越してゴールまで行ってしまうので、そもそも先に繋げる発想に至らない。
パッケージ自体は濃い中身なので余計にハードルが上がってしまう。
それ以上の進化は望みにくい。


一方、他の国はわかりませんが、日本という社会は変化をあまり望まない。
「気づき」は変化を呼ぶ発火点とも捉えるなら
よく気がつく人(≠気が利く人)は余計な事をする奴と邪険に扱われても不思議ではない。
そのような環境に置かれれば「気づく」事自体、やめてしまう事もあるでしょう。


でもそれが「勿体ない」「間違っている」となれば良いのですがね。
でもまぁ…世の中や集団の変化に賭けても…困難の道でしょう。


コロナ以降、色々な状況が変化してきました。
皆と同じような事をしていてもどうしようもなくなる状況が来るかもしれません。
行うリスクは散々意識されてきました。
ですが、行わないリスクもある事も理解したい所です。
最後に身を救う根本は自助の努力であって欲しい。


投資に限れば3年程度で初級者に毛の生えた程度の者でしかありません。
私自身の発信は「パッケージ」の様な物ではありませんし
仮にそうだとしてもそこまで価値は高くないと思います。


ですが目で見た物、考えた事、その中で気づいた事
どんなに小さな、レベルの低い事でも発信していくつもりです。


誰かにとってそれが違う気づきとなり、価値が生まれていくのであれば幸いです。